自己肯定感は高めるもの?はじめましてをかねて。
はじめまして!
自己肯定感を得るために〜自己受容へと至る道、というブログを今日からはじめます。
幼少期から周囲に馴染めない感じはありましたが、持ち前の要領の良さが幸いしてなんとかやり過ごしていた時代。その要領の良さにも価値を見出せず、常にまとわりつく自己評価の低さによって現実と自分がどんどん乖離していき、成長すればするほど生きづらい人生を背負ってしまいました。
結果自己の価値がどうしてもわからず、この半世紀近い時間で他者からの評価は常にジェットコースターのように上下しました。
だけど自信を持つなどということは一度もなかったので来たチャンスは全てリリース。二股に別れた道は全ていばらが生い茂っている方を選択してきました。
だけど最近、SNSなどのメディアの発達で、もしかしたらこんな悩みを抱えているのは私だけではないのかしら?と感じています。
FacebookやInstagramの中の写真はみんな幸せそう。だけどどこか辛い。
その辛さの正体は一体なんなんだろう。
どうしたら幸せになれるのかな
お金があれば幸せになれるかな?と思いました。
だからお金がないなら働け、全ては自己責任、行動あるのみ、というスローガンを内在化して一生懸命仕事を頑張ってみたんです。
だけど生命体としての私は全然喜んでいない。有限な生命の時間の中で、限られた時間を「プライベートタイム」として消費財のように与えられ、くたくたになりながらネットやテレビ、面倒な飲み会などで消費しているように感じます。
私は幸せになるために生まれてきた。
せっかく生まれてきたのですから生きている全てを幸せな時間にしたい。私の望みはその一つです。
長いこと違和感、違和感、違和感、で過ごしてきた時間も気づけば半分以上が過ぎ去っています。どこに答えはあるのかな?と思っていた時、どんな私もどんなあなたもたった一人きりの自分、私が自分を幸せにしたいようにあなたもあなたを幸せにしてほしい、と感じました。なぜなら生まれるということは幸福になるということを内在しているからです。
幸福になるプログラムを探す
生まれた段階では生命を維持する方向に向かうプログラムが人間に組み込まれています(もちろん個人差はあると思います)。
赤ちゃんは必死で泣いたり息を続けたり細胞を分裂させて成長したり頑張ります(こちらについてもDNAの個性やバグの存在はあると思います。そのことについては今後考察を深めていくつもりです)。
つまり、生まれた時には種のほとんどが自分を受容し、自分の存在を受け入れています。でなければ生命体として人間という存在が現在まで継続することは難しかったと思います。
まとめ
なんだか話が広がり過ぎてしまいました。もともとのADHD気質ゆえ、このブログも道ができてくるまでしばしの時間がかかるかな?と思います。
もしも少しでも続きがみたいな、って方がいらっしゃいましたら、またこのブログを訪ねてみてくださいね。今後は情報発信にも力を入れていきたいと思っています。
しばらくお付き合いのほど、宜しくお願いします。